桜の名所に住んでいるので、
毎年、ちゃんと桜を見に行かないと春を迎えられない気がします。
なにか忘れ物をしたような。
軽い強迫観念にも似た。
桜の花が大きなぼんぼりみたいに見事に枝に付いた、
快晴であたたたい日曜日。
ああ、今日はすごい人出だろうなと思いながらも散歩に出かけました。
案の定、公園にはすごい人。
昔はこんなでもなかったのになーと、
年々増えるお花見客をいつもは少し鬱陶しく感じるのですが、
今年は少し違いました。
何千本の桜が連なっている様子は、
まるで薄いピンクの雲が延々と浮かんでいるみたいで、
太陽の光を柔らかく通して、その下の人や景色をぼやかして、
白い薄もやの中でみんなが楽しそうに、
飲んだり、食べたり、踊ったり、遊んだりしているのを見て、
ああ、まるで天国だなと思いました。
あたりまえに、家族がいて、友達がいて、
みんな元気で、
美味しい食べ物があって、
きれいな桜が咲いていて、
所狭しとみんながしあわせそうに溢れかえっていて、
ほんとうに、わたしには天国に見えたんです。
もしくは、楽園。
わたしが桜の下で見た人は、一人残らず、みんな笑っていたんです。
もしくは、楽園。
わたしが桜の下で見た人は、一人残らず、みんな笑っていたんです。
きっと、日本中の人が、今年の桜を特別な思いで見たのではないかと。
あたりまえの日常に、感謝して、
桜の美しさに、感謝して、
それから、去年と同じような春を迎えられなかった人たちのことを考えて・・・
だから、いつもはただわいわいと騒いでるだけのような無秩序な人だかりも、
みんなとてもしあわせそうに、美しく見えました。
それはみんなが、ほんとうにしあわせを感じて
心から感謝していたからではないかと。
それから、他の人のしあわせを同時に願っていたからではないかと。
心から感謝していたからではないかと。
それから、他の人のしあわせを同時に願っていたからではないかと。
わたしも、しあわせだなぁ、と何度も思い、
一緒にいた小さい人も、
しあわせだ、しあわせだ、まるで夢の中にいるようだと何度も言うので、
しあわせだ、しあわせだ、まるで夢の中にいるようだと何度も言うので、
わたしもさらにしあわせな気持ちになり、
今日という日は、いつもとさして変わらないけど、